1973年オイルショックが世界を席巻し、ガソリン価格が急騰したことから、米国の消費者は燃費の良い小型車を求めるようになり、小型車を得意とする日本車が人気を集めていました。
その結果、日本から米国への自動車輸出が急増し、日本車にシェアを奪われた米自動車大手ビッグスリーの業績が相次ぎ悪化する等、日本と米国との間に貿易摩擦が引き起こります。高まる圧力を受け、日本政府と自動車業界は対米自動車輸出台数を制限する「自主規制」を導入することで貿易摩擦の緩和を図ることになりました。一方、自主規制を受け入れた日本メーカーは、米国での現地生産を加速させることで、米国におけるシェア拡大を狙う戦略へと移行します。
そんな時代背景の中、1978年4月、日産自動車の全額出資により、日産トレーデイングは設立され、米国からの自動車部品輸入を中心に事業を開始しました。
日本車黄金時代と呼ばれた80年代、日産自動車の海外展開に呼応するかたちで、当社も事業規模を拡大し、デトロイトを筆頭にナッシュビル、イギリスのロンドン・サンダーランド、タイのバンコク、オランダのアムステルダム、メキシコシティとその拠点を広げていきます。
1999年、仏ルノーと資本提携し再建計画“日産リバイバルプラン”でV字回復を果たした日産自動車は、その後も成長軌道に乗り、2000年代は積極的な新車投入、メインマーケットの北米や中国での生産拡大、更には、新興国への進出等、生産規模の拡大が続きます。当社も、日産自動車の動きに連動し、2004年に中国・広州、2006年にはソウルに事務所を開設、その後も2011年にインドネシア、2013年にはブラジルに現地法人を立ち上げる等、活動拠点をグローバルに拡大し、サプライチェーンの強化を進めていきました。また、国内においては2015年4月に、日産トレーデイング株式会社を、海外子会社を含めたグループ全体を統括するグローバル本社とし、日本事業を担う日産トレーデイングジャパン株式会社(現 日産トレーデイングオペレーションジャパン株式会社)との二つに再編、事業基盤の強化を図りました。
2000年を前後して、持続成長可能な社会への転換が叫ばれるようになり、自動車メーカーは環境技術の開発に力を注ぐことになります。日産自動車は早くから電気自動車の開発・製造・販売に取り組んでおり、グローカリゼーションへの対応と同時に新しいニーズを的確に捉えたビジネスモデルの創造が求められています。
現在、日産トレーデインググループは11ケ国、32拠点に1,400名の従業員を擁するグローバル企業に成長しました。
“Creating Value - Globally” を企業ビジョンに、常にお客様の視点に立ち、付加価値を創造し、魅力的なサービスでお客様から安心・満足を頂ける会社、また、100年に一度の自動車業界の変革期に乗り遅れることがないよう、柔軟な発想で新たなことにも果敢にチャレンジする会社を目指していきます。